年末で誰もかまってくれないし、酒入っててさみしいのでお気持ちを表明いたします。
とりあえずまあまあ酩酊なので文章の構成とかがおかしくなってしまうことを先にお詫びしときます。
年末になってみんな帰省してて話し相手がいないので、一人でちょっと考える時間がありました。サービス業のいやなところを存分に実感しているところであります。
めっちゃ私事ですが、年始からお仕事での転勤と昇格があったりとかで、うれしいやら不安やらで精神的には不安定であることを自覚しております。
そんな中、今の職場への置き土産を買いに行った駅前で、一人酒を飲んでかんじたことをつらつらと書いていきます。
「自分を演じるのってしんどいなぁ…」ということです。
思い返すと、僕が自分を演じ始めたのが、大学のころなのかなぁと思います。
自分を演じるというより、みんなが求めている自分を演じ始めたのが高校のころなのかな、と思います。
元々自分は陰気で根暗な、いわゆる「ネット陰キャ」な性格であったと自認しています。
小学校時代、回りが50m10秒を切り始めても足は遅いままで、中学校の部活の剣道部では思うように結果は出せず、高校では周りになじめず、学園祭でも楽しめない子供でした。
何がきっかけで変わり始めたのかなぁと思うのですが、思い返すと、高校の時の家庭科の先生が何気なく言った一言だったと思います。
調理実習で調理が終わり、家庭科の先生と「おいしくつくれた~?」なんて雑談していた時です。僕は何気なく「そうですね、この経験生かして家でもお手伝いしたいっすね」なんて言って話してた時に、「お手伝いじゃなくても、自分で作ればいいのよ~!」という返答が返ってきました(別に嫌味な言い方じゃなく諭すような言い方でストレスは感じませんでした)
その時、なんというか、自分の本質が他人任せであるということに気づきました。本当に何気ない雑談だったんですが、料理の作り方を学んだうえでも「お手伝い」であることに気づきました。僕が何も気にせずいった「お手伝い」という一文で、自分の本質は他人任せで、自分が主体として動く気はないんだなぁと。
次の日、初めて母親が作ってくれた弁当に対して、「ありがとう。卵焼きがおいしかった。」と感想を言ったことを覚えています。母親は驚いた表情でしたが、その後嬉しそうに会話をして、卵焼きはさらにおいしくなったことを覚えています。ここで人に対して動くと、自分にも見返りがある、ということを人生初めて学んだ気がします。
今思うと、ここで人が求めている自分らしい行動をすることを学んだのかな、と思います。
その後、大学に行ったり、いろんなバイトをしたり、彼女ができたりで、所属するグループが増えていき、そのグループごとで、「他人が求めている自分の平均値」をとるようになったと思います(言語化が難しい。わかりづらかったらごめん)。
なんだか大人になると、付き合ってる相手がいないとやばい、大学行ってないとやばいみたいな風潮がありますが、それは所属したことのあるグループが減ることによって、一部のグループに偏った性格に育ってしまうから所属したことのないグループの平均値が取れてなくて、やばいといわれてしまうのかなぁとも思います(ここも言語化難しい)。
川を流れていった岩がいろんなものにぶつかって丸い石にように、人間もいろんなグループに所属して丸くなっていくんだなぁと思います。
そんなこんなで、「他人が求めている自分の性格像」を演じ、働いて3年ほどたち、昇格も果たすことができましたが、ふと我に返るとしんどいなあと思うことがあります。
元々はTwitterで下ネタとか、とがった発言(今はもうかけない。閉じたコミュニティならまだ発言してる)していたタイプのオタクだったのです。ふと我に返り、学生時代のことを振り返ると、あの頃は楽しかったなぁと思ってしまう自分がいます。
わかってるんです。他人が求めている自分を演じたほうが見返りがあることも、円滑なコミュニケーションが取れることも。ただ、昔を思い返すとあの頃のとがった自分はいないんだなぁと思ってしまいます。多分学生時代の思い出バイアスがあることも承知の上でですが。
なかなかしんどいと思ってますが、人生そんなもんだよなぁと酔いがさめると考え始めます。
実際今記事書いて頭回転させてたら酔いがさめてきて人生そんなもんかぁ~~~と思い始めました。
そんなこんなでみかんのお気持ち表明でした。割と一人で酔ってると根暗なことばっかり考えてるので、また一人で酔ったタイミングでなんか書くと思います。
おちんぽ!!!!
*1:昼間飲みに行った居酒屋。めっちゃおいしい~~~!!!って感じではなかったけど、優しい味で自分の気分的に良かった。あと瓶で飲むマルエフおいしすぎ。ホールのお姉さんがかわいくて飲みすぎちゃった。